富士通レッドウェーブ、そして日本代表の司令塔【町田瑠唯】! 五輪での歴史的快挙がさらなる成長の試金石に!
相手ディフェンスを切り裂くドライブと一瞬の隙を逃さないラストパスで、女子バスケ日本代表らしい組織力を引き出す町田瑠唯。屈指のゲームメイカーが、東京五輪で見えた新しい景色について語ってくれた。
- SERIES:
- 【アーティスト 田村大】アスリートの分岐点!
バスケットボール選手 町田瑠唯
1993年、北海道生まれ。インターハイ、国体、ウインターカップの三冠に貢献した札幌山の手高校を卒業後、富士通レッドウェーブに加入。2011-12シーズンは27試合に出場し、ルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞。2010年のU-18代表選出以来、日本代表の主力を担う。
9月に開催が迫った女子バスケットボールW杯に向けた予選においても、巧みなパスさばきやゲームメイクで存在感を放った町田瑠唯。バスケットボール選手として15年に及ぶキャリアの分岐点として挙げたのは、女子バスケ日本代表が史上初の銀メダルを獲得した東京五輪だ。
「東京五輪でメダルを獲得できたことは、自分にとっても日本の女子バスケ界にとっても大きな転機でした。それまではメディアに取り上げられる機会も少なく、注目度は決して高いものではありませんでした。でも、あの大会をきっかけに周囲の環境や見てくださる方から感じる熱量がガラリと変わりました。私自身もSNSのフォロワーが大会前の約2万人から18万人まで一気に増えて、本当に驚きました。それだけ多くの方たちが私たちのバスケに注目してくれたんだ、ということを実感できた出来事でした」
東京五輪は、女子バスケ日本代表にとって歴史を塗り替えた大会だった。準々決勝のベルギー戦では、試合終了残り16秒の場面で劇的な逆転で勝利し、史上初のベスト4進出を果たし、準決勝では強豪フランスを87-71で撃破。決勝でアメリカに敗れたものの、日本の持ち味であるスピーディなバスケを世界にアピールする活躍ぶりが注目を集めた。そんな日本代表は大会前に司令塔のポイントガードを決めるうえで、大きな課題を抱えていた。ベテランの吉田亜沙美が代表を退き、正ポイントガードだった本橋菜子が負傷で離脱。ポジション争いが激化する中、先発の座を掴んだのが司令塔としては常に2番手だった町田だった。
「リオ五輪のときは若手として思い切り挑戦する立場でした。はじめての五輪だったこともあって、不安よりワクワクのほうが大きかった。でも東京五輪では年齢的に2番めに年上という立場になり、チームを引っ張っていかなければならないという気持ちが強かった。楽しみというより、プレッシャーや不安のほうが大きかったと思います。それでも自分のやるべきことにフォーカスするしかしない。そんな強い思いでプレイしていました」
その覚悟は世界を驚かせるパフォーマンスとなって表れた。ナイジェリア戦で五輪タイ記録となる15アシストをマークし、準決勝のフランス戦では7大会ぶりとなる大会新記録の18アシストを樹立。そんな町田は、大会を通じた活躍が高く評価され、ベスト5にあたる“オールスター・ファイブ”にも選出された。
「フランス戦は特に日本らしいバスケができた試合でした。誰がコートに立っても自分の役割を理解していて、みんなが楽しみながらプレイしていた。私たち日本代表に飛び抜けたスーパースターはいません。でも、1人ひとりが自分がやるべきことを全うできるスーパーチームでした。あのときの12人でしかできないバスケができたことを誇りに思います」
東京五輪での歴史的快挙は女子バスケ界に新たな景色をもたらし、町田自身もその期待に応えるように結果を残し続けてきた。東京五輪の翌年には最年長29歳でWNBAに挑戦し、ワシントン・ミスティクスと契約。帰国後は所属チームの富士通レッドウェーブを牽引し、2023-24シーズンと2024-25シーズンにWリーグ連覇を達成。24年は皇后杯との2冠にも貢献した。日本を代表するポイントガードの1人となった今、どんな課題やテーマを持ってバスケと向き合っているのだろう。
「私は長期的な目標を立てるというより、目の前の課題に全力を尽くそうと思うタイプ。今までの自分より少しでもレベルアップできることを突き詰めながら、前に進んできました。まずは次のW杯に向けてコンディションをしっかり上げて、日本代表に選んでもらう選手としてふさわしい状態をつくること。今はそれが一番大切なことだと思っています。私は自分は絶対に代表に残れる選手ではなく、常に崖っぷちにいる選手だと思いながら生きてきましたので(笑)」
最後に理想とするポイントガード像を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「一緒にプレイする選手が活躍してくれることが、ポイントガードとして一番嬉しいこと。チームメイトを生かすも殺すもポイントガード次第という責任を常に感じています。だからこそチームが苦しい時間帯には、先頭に立って流れを変えられる存在でありたい。いつの日か“ポイントガードとして唯一無二だったね”といってもらえる選手になれたら嬉しい。そう思ってコートに立っています」
アーティスト 田村 大
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは16万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。Instagram:@dai.tamura
※『Safari』10月号174〜176ページ掲載
●『Safari』10月号の購入はコチラ!
●『Safari』定期購読はコチラ!
●『Safari』公式 Instagram(@safarimagazine_official)もチェック!
illustration : Dai Tamura composition&text : Takumi Endo

































































