『シャーロック・ホームズの冒険』
秋はミステリーにふさわしい季節とはよく言ったもの。たしかに、木々の葉が色あせ、夜が長くなっていくこの一年の上での黄昏時は、人間の隠し持った謎や不可解さをじっくり見つめるのに最適。だがそれにしても、これだけ世にミステリーが溢れる中で、いまだにミステリーといえば英国、そんなイメージがすぐさま脳裏に浮かんでくるのはナゼなのか。
今なお革新的であり続ける古典の魅力
真っ先に思いつく理由はといえば、それはコナン・ドイルやアガサ・クリスティが遺した功績にこそあるのだろう。彼らが生み出した珠玉のミステリー作品の数々は、原作小説はもちろん、映像作品としても世界中の幅広い世代を楽しませ続けている。
たとえば、NHKのBSプレミアムで今なお再放送の続く人気ドラマシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』。かつて子供の頃に見たことがあるという人も多いのではないだろうか。
だが面白いもので、大人になるとやはり見方がガラリと変わり、英国が世界の中心だったヴィクトリア朝期の喧騒、富や文化の集中、商業の発展、貧富の差、階級制度、科学技術の浸透といった時代描写の端々が実に面白い。そんな中で生じる怪事件を前に、ホームズが明晰な頭脳、鋭い観察眼、科学の知識などを総動員させて推理にあたっていく姿が魅力的だ。
加えて、抜群の推理力を持つホームズが、人間的に見るとすごく変わり者というか、相棒のワトソンがいないと何をしでかすのか分からないくらい危なっかしいのも愛らしい。多くの探偵モノ、刑事モノのいわば元祖的な存在にして、すでにこれほど長所や短所のあいまった唯一無二のキャラクターが完成されているのだから、原作者コナン・ドイル恐るべしである。
『SHERLOCK』
英国ミステリーの特徴は、こういった古典が現代においても極めて高い知名度と人気を博し続けているところにある。言うまでもなくホームズは何度となく映画化され、さらにベネディクト・カンバーバッチ主演のBBCドラマシリーズ『SHERLOCK』も世界中で旋風を巻き起こした。この大胆不敵な現代版への脚色アプローチは、まさに歴史と伝統を大切にしながら常に革新的であり続ける英国文化のあり方そのものに思えてならない。
『名探偵ポワロ』
一方、クリスティ作品でいうと、ケネス・ブラナー監督&主演作もいいが、何よりまず真っ先に思い出されるのはやはりデヴィッド・スーシェ主演『名探偵ポワロ』か。こちらも現在NHKのBSプレミアムで再放送中だが、あとほんの数回で最終話を迎えることをお伝えしておきたい。ポワロが車椅子姿で挑む最後の事件『カーテン』。興味ある方は是非しかと見届けてほしい一編だ。
同じくクリスティ作品で2015年に映像化されたドラマシリーズ『そして誰もいなくなった』(アマゾンプライム・ビデオ配信中)もオススメ。逃げも隠れもできない孤島のお屋敷に招かれた客人たちが一人、また一人と殺されていくシュールかつ絶望的なこのミステリー。タイトルが結末を明かしている時点でその不敵さは群を抜いているが、そのさらに上をゆく「どのように?」と「なぜ?」といった要素の組み立て方が実に斬新である。
『バーナビー警部』
どんよりした空の下、不可解な関係性や人間の闇を描く
ホームズ、ポワロ、ミス・マープルに代表される抜群の推理力を持った主人公の姿は、その後も『バーナビー警部』『主任警部モース』『フロスト警部』『ヴェラ〜信念の女警部〜』『刑事フォイル』などなど、挙げ出せばきりがないこの国の推理、捜査モノの主人公らに受け継がれている。
長年愛され続けるこれらのシリーズは、ロンドンから離れたローカルを舞台に、いささか抑制されたペースで展開していくものばかり。風景は美しいのに天候は英国らしくどんより。登場人物たちは気さくな人もいれば、その反面、どこか内気で自分の中の慣習に閉じこもりがちな人も多い。しかしそういった奥ゆかしさや慎ましさの根底にも確かな人の感情が流れているわけで、作り手や我々はわずかな機微や情緒に十分な注意を払わねばならない。
そういった諸要素に引き込まれてやまないのは、日本人もまた少なからず似たような気質を持っているからだろうか。
『ブロードチャーチ〜殺意の町〜』
一方、2010年代に入ると、ひとつの街を舞台に住人の抱えた闇を連続モノとして描き出すシリーズも増えてきた。
とりわけ名高いのは、今年でシリーズ誕生から10周年を迎える『ブロードチャーチ〜殺意の町〜』。デヴィッド・テナントとオリヴィア・コールマン演じる刑事コンビが海辺の町で起こった男の子の殺害事件を解き明かそうとする高品質のドラマは、毎話ごとに謎が謎を呼ぶ展開を周到に織りなし、視聴者の心を鷲掴みにした。
『ハッピー・バレー 復讐の町』
また、イングランド北部のウエスト・ヨークシャーを舞台に、幼い孫と共に暮らす女性巡査部長の奮闘を描く『ハッピー・バレー 復讐の町』も極めてダークな事件とそこに絡み合う人間模様とで観る者を引き付けるドラマシリーズ。クライムサスペンスとしての特色が強いものの、第1シリーズ、本当にごくありふれた会計士がふとした拍子に誘拐事件の片棒を担いでしまうという、人間の不可解さを不気味なほど鋭く浮き彫りにする筆致が見事である。
『裏切りのサーカス』(2011年)
スパイ物の中に息づくミステリー
英国でお馴染みのスパイ物にもミステリーの潮流は息づく。情報部そのものが長い歴史を持つこともこのジャンルの隆盛の理由だが、実際に同様の職責を負っていた人物がのちに作家に転身して、スパイ小説を書きはじめるケースも顕著だ。
この転身例の代表格といえばイアン・フレミング、ジョン・ル・カレ、それからグレアム・グリーン(彼が脚本を手掛けた『第三の男』は英国史上最も名高いミステリー映画のひとつ)だろう。
『007』で華やかなスパイを描いたフレミングに比べると、ル・カレが描く諜報世界はミステリーと呼ぶにふさわしい奥ゆかしさを持つ。『裏切りのサーカス』(2011年)のような根気を要する二重スパイ探しや、はたまた2016年にトム・ヒドルストン主演でドラマ化された『ナイト・マネジャー』のような揺るがぬ思いを秘めた主人公が武器商人の側近として潜伏するドラマなど、仮面のようにグッと押し殺した表情の下に確かな知性と感情がほとばしる。
『欲望』(1966年)
押さえておくべき英国ミステリーはほかにも色々ある!
カテゴライズしがたい作品は数限りなくある。まずもって英国ミステリーといえばヒッチコックを忘れるわけにはいかないし、彼が英国時代に手掛けた『三十九夜』や『バルカン超特急』は、米国時代の華やかさとは異なるある種の抑制されたミステリーが際立っており、そのテイストは今なお観る者を魅了し続ける。
ミケランジェロ・アントニオーニ監督がスウィンギング60’s真っ只中のロンドンで作り上げた『欲望』は、フォトグラファーが撮った写真を引き伸ばすとそこに殺人現場が写っていた…というくだりをセリフなく淡々と紡ぐミステリアスなシークエンスが秀逸だ。
『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)
ほかにも、喧騒の60年代と現代を巧みに繋いだ『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)は実験的な試みが素晴らしいし、英国の鬼才マーティン・マクドナーの初監督作『ヒットマンズ・レクイエム』(2008年)は、悲哀を帯びた殺し屋たちが古都ブルージュで魂をさすらわせる先行き読めない秀作。
『堕天使のパスポート』(2002年)
また、『ピーキー・ブランダーズ』のクリエイターでもあるステーヴン・ナイトが脚本を手がけた『堕天使のパスポート』(2002年)は、不法移民たち側の視点で見つめた大都会ロンドンが従来とは全く別の顔を浮かび上がらせる。
『コラテラル 真実の行方』(2018年)
劇作家でもあるデヴィッド・ヘアが脚本を手掛けた『コラテラル 真実の行方』(2018年)は、闇夜で起こった射殺事件を皮切りに、ケリー・マリガン演じる刑事が真相を解き明かそうと奔走する。こちらもドラッグや密入国といった問題を描きつつ、社会や体制内で生じるやり場なき”怒り”を印象深く活写し、硬派な見応えをもたらす作品だ。
『ブラック・ミラー』(2011年~)
それ以外にも、『ザ・ストレンジャー』、『ステイ・クロース』、『ブラック・アース・ライジング』、『オナラブル・ウーマン』『ステート・オブ・プレイ』など、高評価を博したタイトルを挙げだすとキリがないが、最後に一作挙げるなら、それはテクノロジーを題材にした珠玉のミステリーを紡ぐ『ブラック・ミラー』(2011年~)だろう。
未来世界や科学技術を扱った作品はすぐさま古びてしまいがちだが、本作に限って言えば12年前の第1シリーズを見直しても斬新なまま。これはテクノロジー以上に、それを使う人間の心理模様にこそ主眼を置いているからに違いない。まさに伝統と革新。今なお続く人気シリーズでありながら、そこには時代を超越した古典にも通じる普遍的魅力が刻まれている。
1話完結のアンソロジーなので未見の方は是非今晩から試しに1話ずつはじめてみてはいかがだろう。そこから始まる英国ミステリーの果てなき世界が、秋の夜長を充実した時間へと変えてくれるはずだ。
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