MLBの挑戦者たち 〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.2 マック鈴木/誰より長くメジャーを夢見た男
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1996年7月7日、テキサス州のアーリントンで行われたテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューを果たす
彼ほど波乱万丈な野球人生を送った者は、後にも先にもいないのではなかろうか。マック鈴木。本名である“誠”のマイナー時代の愛称が、そのまま定着した。鈴木が渡米した経緯はこうだ。高校野球の名門校に入学したものの、ある傷害事件に関与して退学となる。進路を模索していた最中にもケンカ騒ぎを2度起こし、日本で野球を続けるのが困難になってしまう。知人の紹介でアメリカ留学の道が拓けると、16歳の若さで渡米を決意。堂々たる体躯に、空手や水泳などもこなす抜群の運動神経。本人は「単に力試しが好きだったのかな」と、“若気の至り”を振り返っている。
こうして1992年に渡米した鈴木だったが、当初は1A球団の職員兼練習生という立場。ボールボーイや洗濯などの雑用をこなしながら、少しずつ練習に参加できるようになっていった。翌年には別の1A球団に移り、試合にも登板。4勝12Sという記録を残した。’94年、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、2Aに昇格。この頃、ちょうどMLBに挑戦中だったバスケの神様、マイケル・ジョーダンとの乱闘も経験している。まったくの偶然だったが、鈴木の膝がジョーダンの顔面にヒットしてしまったという。
2000年5月14日、クリーブランド・インディアンス戦で先発。完投まであと2アウトのところで降板するも、勝利を収めた
‘95年には、3Aを経ずにメジャー昇格を果たすものの、登板機会のないまま降格。メジャーデビューは翌’96年の7月7日となった。打者8人に対して被安打2、与四球2、奪三振1、失点3。村上雅則、野茂英雄に次ぐ、3人目の日本人メジャーリーガーとなった。その後、’98年にメジャー初勝利。2000年にはカンザスシティ・ロイヤルズで先発投手として活躍し、完封勝利を含む8勝の成績を挙げた。
MLBでの目立った成績はそのくらいだが、この後の野球人生が実に彼らしい。’02年には日本球界入りの意向を表明し、ドラフト会議を経てオリックス・ブルーウェーブ(当時)への入団が決定する。大きな期待を背負ったが、4勝9敗1S、防御率7.06と低迷。’05年には戦力外通告を受けてしまう。
オークランド・アスレチックスのキャンプに参加
当時まだ30歳。鈴木は再び渡米を決意し、オークランド・アスレチックスとのマイナー契約をつかみ取る。招待選手としてメジャーのキャンプにも呼ばれたが、結果を残すことはできなかった。その後はメキシコリーグに参加しながらメジャー昇格の機会を探りつつ、台湾プロ野球、アメリカ独立リーグ、ドミニカのウインターリーグなどを転々。決して諦めることなくマウンドに上がり続けた。
35歳となった‘11年には日本に戻り、関西独立リーグの新球団、神戸サンズの選手兼監督に就任。同チームを退団後は、野球界全体に関わりながら、スポーツジムを経営するなど活躍している。日本プロ野球を経由せずメジャーリーガーになった初めての日本人、マック鈴木。誰よりも長くメジャーの夢を追いかけた男である。
【Profile】
マック鈴木(鈴木誠/すずき まこと)/1975年5月31日生まれ、兵庫県出身。日米通算21勝46敗1セーブ(1996〜2004年)
photo by AFLO