【森岡 薫】レジェンドからのひと言でネガティブ思考を払拭!
フットサル日本代表の快挙として語り継がれる2012年W杯でのグループリーグ突破。その原動力となった森岡 薫。Fリーグのスタープレイヤーに上り詰めたレジェンドが、この大舞台で得たものの大きさを語ってくれた。
- SERIES:
- アスリートの分岐点! vol.24
KAORU MORIOKA
TURNING POINT
2012年11月4日
FIFAフットサルW杯 グループC 第2戦
VS ポルトガル
値千金の代表2ゴール!
日本唯一のプロクラブである名古屋オーシャンズの得点源としてFリーグ初代最優秀選手に輝き、2015-16シーズンのリーグ戦9連覇の原動力となった森岡 薫。これまで築き上げてきた実績も、4度にわたるMVPと得点王の受賞、6度のベスト5選出など、リーグ屈指のものだ。
そんな日本フットサル界のレジェンドが、自身の分岐点に位置づけている試合。それはまさに森岡の名とトレードマークのブロンドヘアが日本に知れわたるきっかけとなった、2012年W杯での1戦。三浦知良の出場がビッグニュースとなり、史上初のベスト16進出を果たした大会のグループリーグ第2戦で日本はポルトガルと対戦。この試合で森岡は代表初ゴールを含む2ゴール1アシストという結果を残し、格上相手に5対5の引き分けに持ち込む立役者となった。ペルー出身の日系3世で12歳から日本で暮らしてきた森岡。大会直前に6年の歳月を要した帰化申請がようやく認められ、悲願の代表入りを果たした。
「大会の1、2カ月前に僕が代表に入るということは、それまで4年間、W杯のために頑張ってきた選手の誰かが抜けることになる。その気持ちがわかるからこその辛さもあった。同時に自分はわずかな期間で4年間チームがやってきたことに対応し、結果も出さなくてはならない。W杯直前の2試合、ブラジルとウクライナと対戦した壮行試合でもなにもできず。国を背負って戦う自信が持てず、もともといた選手のほうがチームのためになるんじゃないかとまで思ってしまい。もう地獄でした。出国前夜に泊まった空港のホテルから脱走して、フットサル界から消えようと思っていました。今思えば笑っちゃいますが(笑)。そのときは翌朝になったら出発しなくてはならないから、時間が止まってほしいってずっと考えていました。最終的には電話で奥さんが説教してくれたおかげで、踏みとどまることができたんです(笑)」
初戦を落としてからの第2戦でポルトガルに挑んだ日本は、開始早々に立て続けに失点。3失点めを喫して劣勢に立たされていた中、左サイドからドリブルを仕掛けた森岡の強烈なミドルシュートが決まる。その後も相手にゴールを許したものの、後半にも森岡が連続ゴール。格上相手に打ち合いを演じて引き分けに持ち込み、決勝トーナメント進出に繋げた。
「実はこの試合前にカズさんから“思いっきりいけよ!”と声をかけてもらっていたんです。それが響きましたね。代表初ゴールのシーンのことは、記憶が真っ白で全く覚えていなくて。無我夢中だったんだと思います。後で映像を見て、“すげえコースで入っていたんだ”って自分で驚きました(笑)。アスリートは経験が自信になっていくものだと思うのですが、今思えばこの試合で戦う前の自分は全く自信がなかった。俺は必要とされているからここにいるという感覚がないまま大会に来ていたんです。でも、この試合の結果で帰国する頃には自信に満ちあふれていました。あのときの悩みはなんだったんだという感覚でした(笑)」
W杯後、選手としてトップを走り続けてこられたのも、この大舞台でしか得られない自信があったからだという。そんな森岡は今期から、2部リーグのリガーレヴィア葛飾を戦いの場に選んだ。
「このチームは今期関東リーグからF2に昇格し、F1リーグに上がることを目標にしています。古くからの友人であるGMの西野宏太郎から、そのために力を貸してほしいとオファーをもらいました。日本代表も、昨年まで挑んだスペイン1部リーグもそうですが、目の前に挑戦があれば絶対それをつかみたくなってしまう。F1に上がることは決して簡単なことではなく厳しい目標ですが、それを可能にするための挑戦をしていきたい」
フットサル選手
森岡 薫
KAORU MORIOKA
1997年、ペルー生まれ。24歳から2年以内にプロになる決意をし、サッカースクールで働きながら関東リーグでプレイ。2006年に大洋薬品BANFF(現名古屋オーシャンズ)と契約。スペイン1部・オパルロ・フェロルを経て、今シーズンからリガーレヴィア葛飾に。
TAMURA'S NEW WORK
[TEAM JAPANシンボルアスリート]
TEAM JAPANシンボルアスリートとは、日本オリンピック委員会が認定するアスリート。オリンピック・ムーブメント推進事業及びマーケティング活動をとおして、スポーツの価値を社会に伝える役割を担う。作品の原画は、13人のアスリートを別々に描いたもので、彼らの名刺にもプリントされている。原画は、日本オリンピックミュージアムにて、10月10日(月)まで展示中。
スポーツとアートの感動を伝えたい
日の丸をイメージさせる曲線からはみ出すように、躍動的に描かれた13人のアスリート。彼らは日本オリンピック委員会が“高い競技力と人間力を持ち、誰もが憧れる象徴”として認定したTEAMJAPANのシンボルアスリートたちだ。
「スポーツもアートも国境を超えて感動を与える存在。国の代表選手たちがオリンピックで与えてくれた感動を思い出し、またこれからの活躍に期待を抱いてほしい。そんな想いを込めて描きました」
ひとつの夢を叶えた作品だという。
「僕は“NBAとオリンピックに関わる仕事をしたい”という夢を持ってアーティストとしての活動をはじめました。今回、その夢を叶えることができて感無量ですし、この道に進んでよかったと思っています。この想いをまた新たな力に変えて、2024年のパリオリンピックになんらかの形で携われるような存在になることを目指したい。そのためにも、気持ちを込めた作品を描き続けていきたい」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは20万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram : @dai.tamura
アスリートに関するオススメ記事はコチラ!
◆アスリートとファッション
◆美女アスリートとデニム
雑誌『Safari』10月号 P206~208掲載
“アスリートの分岐点”の記事をもっと読みたい人はコチラ!
illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO