Vol.27 岡島秀樹/勝利を支え続けたノールック【MLBの挑戦者たち〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡】
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岡島秀樹(おかじま ひでき)/1975年12月25日生まれ、京都府出身。日米通算55勝48敗56セーブ158ホールド
岡島秀樹を語る上で外せないのは、その独特な投球フォームだろう。リリースの瞬間にホームベース方向を見ず、下を向いて投げることから”ノールック投法”と呼ばれた。11年在籍した読売ジャイアンツでは、主に中継ぎ、抑えを任され、年間50登板を超えるシーズンも4度あった。2006年にトレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。左のセットアッパーとしてチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。
そのオフ、FA権を行使。ファイターズへのトレード時点で、岡島がFA宣言することは既定路線のようなものだった。当初からメジャー移籍を目指していたわけではなかったが、すでに松坂大輔のポスティング交渉権を獲得していたボストン・レッドソックスが岡島に興味をもったといわれている。岡島はレッドソックスと2年契約を結び、巨人時代の37番を背負って最高峰の舞台に挑むことになった。
2007年3月13日、ボストン・レッドソックスが春季キャンプを行なっているフロリダのシティ・オブ・パームズ・パークでニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜(写真中)と握手を交わす
翌2007年の4月2日、カンザスシティ・ロイヤルズとの開幕戦で岡島の出番がやってくる。しかし、最初の打者に対して投じた初球をいきなり本塁打され、メジャー史上7人目となる新人初球被本塁打という珍記録を作ってしまう(なお、岡島はワールドシリーズ第4戦でシーズン最後の投球も本塁打されている)。岡島はこの本塁打を振り返って「アウトローに投げておけば打ってこないと教わってきたのに、簡単に打たれた」と語り、寝ずに考え込むほどのショックを受けたという。
2007年7月、オールスターゲームでサンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズと再会。両者は6月に対戦していて、その際は見逃し三振で岡島が抑えた
しかしすぐに立ち直った岡島は、その後19試合連続無失点を記録するなど好調を維持。オールスターゲームにもインターネット投票で選出されたが、残念ながら登板機会はなかった。このシーズンはチーム最多の66試合に登板し、3勝2敗5セーブ27ホールド(リーグ3位)、防御率2.22を記録。初登板でメジャーの洗礼を受けた岡島だったが、結果としては素晴らしいルーキーイヤーとなった。またポストシーズンでも活躍を見せ、とくにワールドシリーズ第2戦では2番手として2回2/3、無安打無失点4奪三振という完璧なマウンドを披露。岡島の好投もあり、レッドソックスが圧倒的な強さで3年ぶりのワールドチャンピオンを獲得した。
2007年10月28日、ワールドシリーズ第4戦でコロラド・ロッキーズを破ったボストン・レッドソックス。歓喜のシャンパンファイトで松坂大輔とともにトロフィーを持つ
2008年シーズンの開幕戦は3月26日、東京ドームでのオークランド・アスレチックス戦となった。この試合で岡島は勝利投手となり、日本のファンに健在ぶりを披露している。5月には手首の痛みから不調に陥るも、6月以降は復調。結局この年も64登板、3勝2敗1セーブ23ホールド、防御率2.61と安定した成績を残した。手首の痛みは疲労性のもので、幸いにして大きな怪我には至らなかった。
メジャー3年目となる翌2009年は、好不調の波が目立つシーズンとなった。チーム最多の68登板、6勝23ホールドと健闘したものの、防御率は3.39とやや悪化。オフには契約終了によりFAとなる予定だったが、紆余曲折の末にレッドソックスと1年契約を結び直している。2010年には右太腿裏の故障で初のDL入り。56登板で11ホールド、防御率4.50。メジャー移籍後ワーストの成績となった。
そのオフにノンテンダーFA(戦力外)となった岡島だったが、数球団からオファーが届き、結局はレッドソックスと再び1年契約を結ぶ。年俸は下がったものの、家族の住環境を優先した結果だった。だが、スプリングトレーニングで結果が出ず、岡島の主戦場は3Aとなる。オフにはニューヨーク・ヤンキースとの契約がまとまったが、翌年2月になって身体検査で肩の異常が見つかったため無効に。3月、福岡ソフトバンクホークスと契約し、6シーズンぶりのNPB復帰が決まった。
2013年5月19日、オークランド・アスレチックスの岡島はカンザスシティ・ロイヤルズ戦の7回にリリーフ登板
ホークスでの岡島の活躍は凄まじかった。開幕から26試合連続無失点を記録するなどし、9セーブ24ホールド、防御率0.94でシーズンを終えている。この好結果を受け、岡島は再びメジャー復帰を目指し、球団もその意思を尊重。自由契約となり、翌2013年の2月になってオークランド・アスレチックスとのマイナー契約を獲得した。3Aで好成績を残した岡島は5月にメジャー昇格を果たすも、翌月には降格。10月に自由契約となり、メジャー復帰は叶わないままシーズンを終えた。
その後の岡島はホークスと横浜DeNAベイスターズで2シーズンを過ごし、合計で54登板。2016年に三度目のMLB挑戦を決意してボルチモア・オリオールズと契約するも、シーズン前の3月中に自由契約に。7月になって自身のブログで現役引退を発表した。40歳だった。21年間にわたる現役生活で、日米通算815登板、56セーブ、158ホールド。鉄腕ぶりが記憶に残る個性派投手だった。
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