MLBの挑戦者たち 〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.10 イチロー/野球の見方を変えた男【後編】
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2012年7月、イチローは2対1の交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。記者会見では自らの希望で移籍を決めたことを明かし、「20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」と語っている。“エリア51”の愛称で親しまれた背番号も、ヤンキースの人気選手だったバーニー・ウィリアムスの番号ということで遠慮し、31に変更している。ちなみに“51”は後にウィリアムスの永久欠番となった。
2012年7月23日、ニューヨーク・ヤンキースでの移籍後初打席でファンの拍手にお辞儀で応える
この年、イチローは178安打、打率.283(マリナーズ時代と合算)の成績で終え、外野のユーティリティ・プレイヤーとして渋い活躍をみせた。チームも地区優勝を果たし、彼自身久しぶりのポストシーズンを迎えることになる。ボルチモア・オリオールズとの第2戦では、一塁走者だったイチローがロビンソン・カノの二塁打で一気に生還。完全にアウトのタイミングだったが、捕手のタッチを2度かいくぐる曲芸的なスライディングをみせる。もうすぐ39歳を迎えるとは思えない身軽さで、日米のファンに健在ぶりを示した。
2012年10月3日、ニューヨーク・ヤンキースはボストン・レッドソックスを破り、ア・リーグ東地区優勝を決める。イチローは初のシャンパンファイトを経験
翌’13年の8月、日米通算4000安打を達成。’14年までヤンキースでプレーしたが、そのオフにFAとなる。さすがのイチローも打率3割を超えるのが難しくなっており、レジェンドの去就に注目が集まった。’15年1月末、マイアミ・マーリンズと1年契約を締結。東京で行われた入団記者会見では、「これからも応援してくださいとは言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはならないことを続けていく」と述べている。打撃では芳しい成績を残せなかったものの、10月のシーズン最終戦では投手として初登板。最速143㎞/hを投げて1回1失点、被安打2という結果だった。
2013年8月21日、トロント・ブルージェイズ戦で日米通算4000本安打を記録
‘16年も外野手の4番手としてマーリンズでプレーし、6月にはピート・ローズのもつMLB通算安打記録4256本を日米通算で更新。8月には史上30人目のMLB通算3000安打を記録した。また、’17年6月にはシカゴ・カブス戦に1番・中堅で先発出場。43歳246日での中堅手としての先発出場は、リッキー・ヘンダーソンを抜きMLB史上最高齢記録となった(9月には自ら43歳331日に更新)。しかし成績の下降は否めず、この年でマーリンズを退団することになった。
2015年10月4日、フィラデルフィア・フィリーズ戦の9回裏に投手としてマウンドに上がる
所属先が決まらないまま迎えた’18年3月、古巣・マリナーズとの契約を発表。シアトルでの開幕戦に9番・左翼で先発出場すると、その第1打席を4万7千人の観衆がスタンディング・オベーションで迎えた。そしてイチローはセカンドへの内野安打を放ち、彼らしいやり方で声援に応えてみせた。ちなみにその直前の守備では、フェンス際での見事なホームランキャッチも披露している。
2019年3月21日、東京ドームで行われたオークランド・アスレチックス戦に出場。MLBでの最終打席はショートゴロだった
その後は15試合に出場して9安打という成績で、5月には球団とスペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)の契約を締結。選手として残りの試合には出場しないと発表された。翌’19年、東京ドームで開催されたMLB開幕戦に帯同し、全2試合に出場。3月21日の試合終了後に記者会見を開き、現役引退を表明した。記者から今後について尋ねられると「何になるのだろう。監督は絶対無理だと思う」と答えている。50歳まで現役を続けたいと語ってきた彼も、45歳でついにバットを置くことになった。
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