最高峰のシャンパーニュ“メゾン マム RSRV(アール・エス・アール・ヴイ)ロゼ・フジタ”。画家のレオナール・フジタへのオマージュとして登場したが、彼と〈メゾン マム〉との関係性とは?
[メゾン マム RSRV ロゼ・フジタ]
ラベルの“RSRV”は、〈メゾン マム〉の親しい仲間や愛好家たちに贈るための秘蔵のシャンパーニュを意味し、最高醸造責任者、ディディエ・マリオッティが傑出したワインだけに与えた稀有なコードである。
ここでフジタとマムの親密な関係の背景について説明したい。1886(明治19)年、東京に生まれた藤田嗣治は東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、1913(大正2)年、26歳でフランスに渡る。1920年代初頭に発表した乳白色に輝く肌の裸婦像は、どの流派にも属さない独自の表現として高い評価を得て、一躍画壇の寵児となった。その後、フジタと〈メゾン マム〉の社長であったルネ・ラルーは共通の友人を介して出会う。敏腕経営者である一方、芸術の愛好家としても名を馳せていたラルーは、フジタの才能を高く評価。経済面でもフジタを支えた。
2度の大戦を経て、フジタはラルーの尽力も手伝い、1955年にフランス国籍を取得。ラルーの依頼でバラの絵を描き、そのバラを纏った“コルドン ロゼ”はカンヌ映画祭でふるまわれ好評を博した。'59年、フジタはランスの大聖堂で“レオナール・フジタ”という洗礼名を授かるが、そのときの代父(立会人)も実はラルーが務めたというからその絆は深い。
若き日に渡仏して以来、大半をフランスで過ごしたフジタ。その生涯にわたり〈メゾン マム〉と深い繋がりがあったのだ。2018年というとフジタの没後50周年の節目。今年は全国で回顧展も開催される。これを機に、フジタの芸術を愛した〈メゾン マム〉のこだわりの結晶“RSRVロゼ・フジタ”を味わってみては?
フジタと〈メゾン マム〉の深い絆の象徴といえるのが、1966年、ルネ・ラルーの協力でランスにある〈メゾンマム〉の敷地内に建てられた“平和の母子礼拝堂(チャペル・フジタ)”。現在はフジタと君代夫人の墓がある。
ペルノ・リカール・ジャパン 03-5802-2671 |
文=糸田麻里子
2018-05-31