GOURMET*


CHAMPAGNE

親愛なるレオナール・フジタに捧げる
特別なシャンパーニュ。


最高峰のシャンパーニュ“メゾン マム RSRV(アール・エス・アール・ヴイ)ロゼ・フジタ”。画家のレオナール・フジタへのオマージュとして登場したが、彼と〈メゾン マム〉との関係性とは?



完成した“チャペル・フジタ”の除幕式が行われた1966年、その敷地内に訪れたフジタとルネ・ラルー。仲のよさが窺える当時の1枚。フジタはチャペルの設計に自ら携わり、壁のフレスコ画を80歳という年齢で描き上げた。


MAISON MUMM RSRV
ROSE FOUJITA

[メゾン マム RSRV ロゼ・フジタ]

6つのグラン・クリュが
織りなす芳醇なロゼ。


フジタが描いたバラの絵がボトルネックに。30%シャルドネ、70%ピノ・ノワールに、グラン・クリュの赤ワインをブレンド。力強いアロマとふくよかな味わいにうっとり。1万2700円(ペルノ・リカール・ジャパン)



  • シャンパーニュ地方の中心、ランスで創業されたメゾン マム社。

  • 218haの広大な畑を所有する

  • 石灰質の土壌を手作業で掘って造られたセラーの回廊は全長25㎞に及ぶ


ラベルの“RSRV”は、〈メゾン マム〉の親しい仲間や愛好家たちに贈るための秘蔵のシャンパーニュを意味し、最高醸造責任者、ディディエ・マリオッティが傑出したワインだけに与えた稀有なコードである。

ここでフジタとマムの親密な関係の背景について説明したい。1886(明治19)年、東京に生まれた藤田嗣治は東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、1913(大正2)年、26歳でフランスに渡る。1920年代初頭に発表した乳白色に輝く肌の裸婦像は、どの流派にも属さない独自の表現として高い評価を得て、一躍画壇の寵児となった。その後、フジタと〈メゾン マム〉の社長であったルネ・ラルーは共通の友人を介して出会う。敏腕経営者である一方、芸術の愛好家としても名を馳せていたラルーは、フジタの才能を高く評価。経済面でもフジタを支えた。

2度の大戦を経て、フジタはラルーの尽力も手伝い、1955年にフランス国籍を取得。ラルーの依頼でバラの絵を描き、そのバラを纏った“コルドン ロゼ”はカンヌ映画祭でふるまわれ好評を博した。'59年、フジタはランスの大聖堂で“レオナール・フジタ”という洗礼名を授かるが、そのときの代父(立会人)も実はラルーが務めたというからその絆は深い。

若き日に渡仏して以来、大半をフランスで過ごしたフジタ。その生涯にわたり〈メゾン マム〉と深い繋がりがあったのだ。2018年というとフジタの没後50周年の節目。今年は全国で回顧展も開催される。これを機に、フジタの芸術を愛した〈メゾン マム〉のこだわりの結晶“RSRVロゼ・フジタ”を味わってみては?



  • 大戦が終局に向かう頃のフジタ。戦後の好景気に合わせて絵の人気は高まった

  • 設計から内装まで自ら手掛けた“チャペル・フジタ”。内部のフレスコ画は見事。フジタ自身やルネ・ラルーが登場する作品も


〈メゾン マム〉の敷地内にある
友情の結晶“チャペル・フジタ”。


フジタと〈メゾン マム〉の深い絆の象徴といえるのが、1966年、ルネ・ラルーの協力でランスにある〈メゾンマム〉の敷地内に建てられた“平和の母子礼拝堂(チャペル・フジタ)”。現在はフジタと君代夫人の墓がある。



[INQUIRY]


ペルノ・リカール・ジャパン 03-5802-2671

文=糸田麻里子

2018-05-31